Paul Lauterbur博士との接点

Update : 2008.04.26 (10:37:23)

Posted : 2008.04.26 (10:37:23)

Paul Lauterbur博士(1929-2007)との最初の接点は1996年に日本磁気共鳴医学会大会(大磯)が行われたときでした。博士の発表は、イリノイ大学と会場をインターネットで接続して、遠隔MRI撮像実験をやるというものでした。国内ではインターネットがようやく普及を始めた時期でありましたが、会場で回線がほしいという博士からのリクエストに応じなくてはならない状況でした。学会事務局からISDN回線をホテル側に要求したもののDSU等の組み合わせが悪く、結局はダイアルアップで接続することにしたと記憶しています。さらに弊方の仕事で、ISPの電話番号とIDおよびパスワードを博士のMacに登録する機会がありました。博士に手渡されたMacに設定をし、無難に動作したのを記憶しています。
1997年夏に筆者は、Eiichi Fukushima博士(福島英一先生)の研究室に滞在する機会を得ました。初めての渡米で3ヶ月滞在ということもあり、LA空港での入国審査でひどくしぼられるなどの洗礼を受けたり大変なこともありましたが、全体としてその後の10年(すでに11年目)を決定付ける旅となりました。福島先生には、RFコイルの作成方法を教えていただいたりSantaFeの登山に連れて行っていただいたり、大変にお世話になりました。同年9月には4thICMRMミーティングがAlbuquerqueで福島先生主催で開催され、その時にもLauterbur博士が参加されました。当時はまだNobel賞受賞前で、すでに御高齢でしたが、研究ポスターをご自分でピン止めされて準備されている姿をいまでも記憶しており、巨瀬先生から「米国の研究者は定年がないので最後まで現役なのです」とご教示も頂戴しました。
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さて、その会議の終盤に福島先生のお取り計らいで、Lauterbur博士にご挨拶する機会を得ました。彼が(一度、大磯では会っていましたが)名もない日本人青年にくれた言葉は「日本でも頑張れ。グリーンチリ(青唐辛子;ニューメキシコ名産)は寿司にのせても美味いかい?」というものです。添付写真の一番下をご覧ください。彼は1994年に京都賞を受賞しているが、その時の日本の記憶もまだ残っていたのかもしれない。もちろん1996年の大磯も。ということで、このサインは書庫のお宝となっています。